おがた まゆみ
群馬県出身
3歳から日本舞踊を始め、アメリカ留学、クラッシック・バレエのイタリア招待公演、
着物ショー・モデルなど、国際文化交流活動に精力を注ぐ傍ら、
会社役員秘書、俳優、モデル、MCなど、様々な世界を経験。
32歳でシングルマザーとなり、俳優業をこなしながら、アトピーだった
子供を育てる。39歳で初婚、40歳で次女を出産し、育児に専念。
2015年からタレント活動を再開。
私自身が、犯罪被害にあった遺族として育ちました。
マスコミで大きく報道されたこともあり、小さい頃から好奇の目にさらされ、
自己否定して生きて来ました。
「なんで私の運命はこうなの?」
「自分とは一体何者なんだろう?」、
「何の為に生まれて来たんだろう?」
その疑問が絶えず頭で再生されて来ました。
「死」というものについて、いつも考えていました。
小さい頃は、そんな境遇に居る自分を受け入れられず、幸せになってはいけないんだと思い込んでいました。
そして、なるべく目立たないよう心がけ、学校ではおとなしい性格で殆どしゃべらない子供でした。
物心がつき、自己否定して生きることに苦悩しつつも、変えられない過去に自分を責め続けました。
答えを探すべく、10代は、様々なボランティア活動をし、海外へも足を運びました。
地元に居場所を見出せず、短大を機に東京へ。
物理的に場所を移しても、結局、自分の居場所を見出すことも、自分が何者であるのかも、何の為に生まれて来たのかも分からずにいました。
良いと聞けば、様々な癒しセミナー、カウンセリングを受けました。
独学で心理学も学びました。
しかし、どこにも私が求める答えがありませんでした。
そして、目立たないよう、自分の存在を否定して生きることにも疲れていました。
27歳の時、先生の勧めで、クラッシック・バレエの海外招待公演のオーディションを受け、合格しました。
イタリア人の陽気で底抜けに明るく前向きな生き方にインスパイアされ、帰国しました。
イタリア公演を機会に生まれ変わったつもりでいたはずが、会社でひどいセクハラを受け、誰にも言えず悩み続けました。
男性不信、自暴自棄にもなり、31歳で、会社を辞めました。
32歳で出産し、シングルマザーに。
我が子をこの手で抱き、初めて、私は一人ではない、守るべき存在が出来たのだから、生きなければ!生き続けなければ!という自覚と覚悟が生まれました。
“目立たないようにおとなしく生きて来た抜け殻のような自分”の殻を破り、思い切って、小さい頃から憧れていた俳優業に飛び込みました。
後悔のない人生をおくりたい!
生かされている時間を大切に“今”を生きよう!
子供にも生きる喜びを示してあげたい!
それからは、毎日オーディションと3つのかけもちのアルバイト生活でした。
ボストン大学での留学経験を活かした通訳や国際会議などのバイリンガルMCもこなして来ました。
俳優業では、オーディションで受かったお仕事はどんな小さなものでも、来るものは拒まず、でこなして来ました。
子供が大好きなディズニーに、どんな形でも絶対出演しようと決め、年に4回オーディションを受け続け、7年目でやっと合格し、TDLオフィシャルPVに出演しました。
癒しの旅は同時進行でした。
私だけでなく、遺族である両親や兄も癒されて、それぞれ自分の人生を全うして欲しいと思い、スピリチュアルの学校へ通いました。
世界屈指に霊視能力者 レバナ・シェル・ブドラが30年以上かけて開発したエネルギーヒーリング、オーラリーディング(透視)プログラムを直接指導するクリアサイト日本校に入学。
自分自身を浄化すると共に、ヒーリング、リーディングスキルを学び、全ての答えは外ではなく、自分の内側にあると知りました。
3年後、資格を取得し、俳優業の傍ら、同じように人生に迷い苦しむ人達が少しでも癒されるのならと思い、セッションを始めました。
37歳で、今の主人と出会い、39歳で初めての結婚。
結婚するというオプションは自分の人生になかったので、
「こんな生い立ちの自分が結婚して幸せになっていいのか?」
「彼を不幸にしてしまうのでは・・・」
散々悩みましたが、子供の「ママも結婚して、みんなで一緒に幸せになろうよ!」の一言に心が動きました。
40歳で高齢出産を経験し、その後は育児に専念。
2015年からお仕事も再開しつつ、知人にのみしていたセッションも再開。
恋愛・結婚について、ご自身のキャリアについて、人間関係・親との関係についてなど、内外的な不安を抱えた20代、30代の女性達から、悩みの相談を度々受けます。
女性の皆さんが真の自由を手にいれて、愛の幸せも仕事の成功も全部得られるようなお手伝いをさせて頂きたいと思います。
映画:
「初恋・夏の記憶」白石玲子役
舞台:
「俺は君の為にこそ、死ににいく」田端良子役
「坂本竜馬」鶴姫役
「クラッシック・バレエ 神風」
イタリア(ローマ・ポンペイ)にて招待公演
TV:
「行例の出来る法律相談所」再現ドラマ
主役TVCM:
「東芝」
「アメリカンホームダイレクト」
「積水ハウス」
「ファンケル 発芽玄米」
「明治ブルガリアヨーグルト」
メイン広告モデル
「ヒルトンホテル東京」オフィシャルパンフレット
リーフレットPV:
「東京ディズニーランド25周年 オフィシャルPV」
メインMC:
「ショップチャンネル」
ゲストスピーカー
「五日市剛 ツキを呼ぶ魔法の言葉」
講演会 総合司会
「アラスカシーフード子供教室」
早見優さん、さかなクンとのトークイベントMC
「横浜開港150周年記念式典」バイリンガルMC他 多数
取得資格:
米国クリアサイト認定ヒーラー
米国クリアサイト認定上級ヒーラー
米国クリアサイト認定透視リーダー
ブログ http://ameblo.jp/freewillmayumin/
谷津 絢子
建築インテリア設計事務所でアシスタントデザイナーとして経験。
グラフィック制作を重ねながら、2010年某アイドルグループのアジア進出のプロデュース事業に着手。
当初はデザイナーとして、オリジナル商品の制作、販売戦略を組む中で、次第に事業全体をプロデュースしていく側に移行。
デザイン面を重視したプロデュースで日本カルチャーをアジア進出するサポートやいくつものプロジェクトで更に経験を重ねる。
エンタメ系•飲食系•お菓子•地方再生•地域コンテンツ•企業プログラム等様々な事業に取り掛かる。
いろんな関わりの中で、もっと様々に人の想いは眠っていると気づき、引き出していきたいと強く感じるが、どのようにしたらいいか分からないまま月日が経過していたところ、コーチングと出会うきっかけになる。
2019年コーチングを学び、メソッドを取り入れた総合的なブランディングプロデュースをスタート。
日々のサポートを重ねて、クライアント様のヴィジョンを伴走し、現在は個人クライアントと経営者様と相互に行っております。
webサイト https://82junko.wixsite.com/lifedesign
◆提供中のサービス
B to C向けに、才能を輝かせるあなたをブランディングプロデュースしています。
https://82junko.wixsite.com/lifedesign
B to B向けには、カンパニーライフデザインをテーマにチーム編成し、サポートしております。
相互におきましても、それぞれの目標ヴィジョンを見直すことや本質的な想いを明確にし、実現するサポートしてます。
Wim. Sakura(ウィマラスーリヤ サクラ) 経産省・始動6期生
看護師/認定心理士/Ayurveda アドバイザー/予防医療/東洋医学/
Sri Lanka🇱🇰/Mindfulness/spice/6curry
今回コロナで浮き彫りになったけど、実際はコロナ前からある問題です。
名大の研究で急性期の半分の看護師は抑うつ傾向で働いて、それによって起こるミスをなんとかマンパワーで抑えているのだという調査結果もありましたが、疲弊しきって離れていく人々がさらに増えたことで、浮き彫りになっているのです。
コロナ前、アメリカで医療者のメンタルに対するサポートの必要性がかなり認知され、盛んになってきたものの、コロナの打撃には追いついていない現状です。
その一方、ただでさえ責任感が強く、真面目な国民性を傾向に持つ日本ではさらに深刻なのでは...と思います。
そもそも、こころの問題に対して謎の"気合論"(私も以前はそうでした)や漠然とした他人に相談する抵抗があり、自分の心に蓋をして頑張りすぎてしまう方々が多い日本。
どうにかして、こころのケアや"自分らしさ"を取り戻す、"整う"習慣を広めていきたのです。
私ひとりでは無力ですが、きっと沢山の人々の思いや知識、そして世の中にあるテクノロジーや技術が集まれば、少しでも太刀打ちできるのではと信じています。
まずはいかに発信をしてムーブメントを起こしていくのか...
試行錯誤、とりあえず行動するのみ。
そしてこうやって思いを言語化するのって本当に難しいと実感する日々です。
中山 翠
防災・減災活動:2019世界防災フォーラム 登壇(World BOSAI Forum IDRC 2019 in SENDAI)
よんなな会 in 渋谷ヒカリエにおけるよんなな防災会の活動紹介
YoutubeチャンネルRESCUE HOUSE
学生の時、ライフセービングに携わっていた経験から「人の命を助けることを仕事にしたい!」と思い、消防士になりました。
何かあったときに頼りにされる消防ですが、私たちは要請がないと助けに行くことができません。
数多くの災害現場を経験していく中で、助からなかった命をたくさん見てきました。
本当は助かるはずだった命なのに、消防士でも届かない命があることにとても悔しさを感じました。
「どうしたら助かったのか?」を考えたときに、「何をすれば良いのかわからない、自分の災害リスクを知らない」という防災意識の低さの課題を感じたことがきっかけです。
大災害が発生した時、119はパンクし、消防は全ての人を救助しにいくことができません。
消防団や地域の病院、建設会社など、災害時に必要な人材や活用できる資機材を持っているところと、顔の見える関係性を事前に構築し、公助に頼らず自分たちの命は自分たちで守っていかなければならない。助け合うことが当たり前という世の中が課題解決になると思います。
様々な角度から防災について考えや想いがあり、携わり方も十人十色。自分に無い視点からの意見からたくさん気づかされることがあります。
この取り組みをきっかけにジャンルを超えたつながりができたら良いと思います。
FB https://www.facebook.com/midori.nakayama89
山﨑 真理(個人事業主、妄想家)
yamaki-do 代表
【独立する決意】
スーパーでコロッケやお寿司などお惣菜販売のマスターとして経験を積み、その後心機一転、中東に赴任し、石油王のいる国で環境問題や都市計画策定にかかるお仕事をし、パレスチナへリハビリ技術の現状に関する調査に行ったり、アラブ諸国の省庁向けのセミナーや訪日研修の企画管理など、中東に関わるあらゆるお仕事を経験。
普通の人生では味わえないジェットコースターのような経験を沢山させていただいたので、人生にとても満足していましたが、多くの親日派アラブ人の方から、日本との交流の機会をもっと作って欲しいというたくさんの要望を受けました。事業を始める自信はまったくなかったのですが、様々な方々からアドバイスや応援をいただき、アラビックコンテンツを軸に日本と中東をつなぐ橋渡しとなるお仕事をはじめる決心をしました。
屋号名は「yamaki-do」。祖母が担っていた家業のヤマキ商店に人が集うお堂や英語のアクティブな動詞doのイメージを掛けて屋号としました。ヤマキ商店は、江戸城建設のための資材を運んだ九鬼水軍の第8代頭首九鬼嘉隆が生まれ幼少期育った地域にあり、昔からカツオ漁や航海に縁があります。ヤマキ商店は、伊勢志摩の産物である海産物養殖を生業とし、G7伊勢志摩サミットのサポート等、地元の観光業の礎を担ってきました。
【ビジョン】
ヤマキ商店は約1500人の小さな村の商店でありながら、海運業を担ってきた性質から海外にも高い関心を払ってきました。海路を中心に世界を見渡してみると、すべての大陸・地域は一つに繋がっていきます。yamaki-doもまたそのDNAを受け継ぎ、それぞれのイニシャルに次の意味を当てました。 ここには、忙しい日常で忘れがちでおざなりになりやすい個々人の夢や妄想を、船を牽くロープの結び目のようにノッティングし、引き留め、海を超えて渡っていく船のように夢を実現する旅のお手伝いができる事業に成長させたいという思いを込めています。
Y ou
A re
M aking
A
K not of
I magination
DO!
【事業内容】
*日本と中東地域のスタートアップ、起業家のマッチングプラットフォームの創設
*産業ツアー(会社訪問・学校視察含む)企画
*日本語学校Webアプリケーション開発
*イベント企画(交流会、日本文化紹介イベント、中東紹介イベント等)
*中東への日本食レストラン出店支援
【メッセージ】
ビジネスは人と人のつながり、三方良しでなくては。
商品・サービスは、安い・早い・美味いでなくては。
人と人のつながりが、新しい行動様式を提案し新しい価値や日常を創造していく、そして地域や地球にも優しく循環していくEcologically/Socially sound Economy をキーワードにSDGsに貢献していく、そんなビジネスを目指しています。
伝統や歴史と切り離せない日々の日常の価値にこそ、最先端技術と組み合わせることで、ボーダーレスで新しい未来がデザインされていくと妄想しています♪